石破首相の振る舞いが突きつける日本の課題

石破首相が国際政治の舞台で見せたマナーに対する指摘が話題になっています。これは一個人の行動にとどまらず、その場にいる要人たちのみならず、世界中に発信される映像を通じて日本全体の印象に大きな影響を与える可能性を秘めています。首相という立場は「日本の顔」を背負うものであり、その振る舞いには自然と高い期待が寄せられるのです。

私が約20年前にワシントンでプロトコール(国際儀礼)のトレーニングを受けた際、プロトコールの分野で新たに道を歩み始める人々や、既にその分野で活躍する現職のプロフェッショナルたちも参加していました。そのとき、「日本の首相にはなぜ振る舞いを指摘するアドバイザーがいないのか?」という質問を繰り返し受けたのを、今でも鮮明に覚えています。この経験をもとに『ニューヨークとワシントンの日本人がクスリと笑う日本人の洋服としぐさ』という本を執筆しましたが、当時と変わらない現状を見ると、今も課題は山積していると痛感します。

たとえば、今回問題視されている両手での握手について。プロトコール上、握手は単なる形式的な行為ではなく、国際社会で相手に意図や印象を伝える重要な手段です。まず、手を差し出す角度ひとつで、相手に与えるメッセージが変わります。掌を上向きにすれば「迎合」や「従順」の意を表し、逆に下向きにすれば「支配」や「優位」を示すとされます。タイミングも重要で、相手が握手の準備をする前に手を出せば「焦り」や「礼儀知らず」と見なされることもあります。また、握手の強さも見過ごせません。弱すぎれば「消極性」「頼りなさ」、強すぎれば「威圧的」「自己顕示の強さ」という印象を与える恐れがあります。

今回の石破首相の握手は、プロトコールにおいて慎重に扱うべきこれらの要素を無視したものでした。初対面の場で両手を使った握手は、無用な親密さの演出やを不自然な距離の縮め方と受け取められ、見る者に違和感を与える接触として映るがあります。とくに現在の日中関係を考えると、こうした行為がどのような誤解を招くか、容易に想像がつきます。しかし、元駐米大使や外交プロトコールに詳しい関係者たちがこれを「問題ない」と判断したとされる事実には衝撃を受けます。これでは日本がプロトコール教育の重要性を理解していない国だと見なされても仕方がありません。

さらに深刻なのは、周囲が首相に対してこれらの問題を指摘できていない状況です。「裸の王様」という言葉が適切かもしれません。一国を代表する人物が、自らの振る舞いがどのように世界で受け止められるかを理解していない場合、それは国全体の信用を揺るがすことになります。外交の場で不適切な振る舞いが続けば、日本の発言力や交渉力が損なわれるリスクは計り知れません。

握手や食事の振る舞いが国家の評価を左右する国際社会では、どんな所作も政治的なメッセージを含む重要な要素となります。このような場面において、プロトコールは単なる形式ではなく、国家としての品格を守るための基本です。その基本が整っていない現状は、日本の未来にとって大きなリスクを伴います。そろそろ、『日本のプロトコールは洗練されていない』という印象を改める必要があるのではないでしょうか。